わが師・野口晴哉を語る
野村昇平・野村奈央
インタビュアー 津村喬
~気で治る本(宝島社/1995年刊)対談から~

 群馬県・赤城山中腹で自然農法による「赤城山自然牧場」を営みながら、前橋市内で心の自覚をテーマに私塾を開いている野村昇平・奈央夫妻。二十五年前、夫は失明宣告を受け、妻は最悪の健康状態だったのを機に野口整体と出会い、みるみる回腹して心身両面の健康をとり戻した。そして、野口整体の技術と創始者・野口晴哉という人物に魅了されていった。以来、野口晴哉が世を去る直前まで身近に接して多くを学び、また四半世紀の間、からだの面は主に奈央さんが、心の面は主に昇平さんが受けもつかたちで、整体の研究・実践を続けてきた。ふたりの体験と数々のエピソードを通して、整体の実践結果と野口晴哉の人物像を浮き彫りにするインタビューを試みた。

【最悪の体調のふたりが野口整体と出会って回復した
津村
 まず、おふたりと野口整体との出会いですけれど、どんなご縁があったんですか。


野村昇平(以下、昇平) 最初の出会いは僕のほうが早いんです。学生時代は「生命とはなんぞや」などと考えていて、東大の大学院に進んで生物の研究をしていました。そのうち自分の生き方についてすごく悩んで、当時知る人ぞ知る存在だった私塾「はじめ塾」の和田重正先生(一九〇七~九三年、生涯を青少年の全人的な人間教育に捧げた)のところへ行くようになりました。そして人間教育に強い関心を抱くようになり、どうしてもこの方向をやりたいと思ったんです。でもある面では将来を約束されている場にいたので、本当に悩みました。

津村  そのときは、結婚されていましたか?

昇平 いえ、結婚しようかな、という段階でしたが、まず自分自身がいかに生きるのか、ということでさんざん悩んでいました。レールをはずれても、本当に自分の納得のいく生き方をしたい、しかし実際にやっていけるのか……。苦しい日々でした。しだいにからだが衰弱していき、朝から目がウサギの目のように真赤に充血してました。このままいくと本当に自分は死ぬんじゃないかなと……。

津村 病院に行くことは考えなかったんですか?

昇平 あまりにひどかったから東大病院で一日かけて検査してもらったところ、「縁内障です。半年後に失明します」と言われました。その前に本を読んで緑内障くさいなと感じていたので、本当にそうだったらどうしようとドキドキしていたんです。でも、いざ宣告されてみると「アッ、そうか」、目が見えなくなっても、自分の生き方に変わりはないと思えましたね。

津村 多くの人はガックリしてしまいますよね。

昇平 自分自身でも意外な感じでした。それまでは、目が見える生活と見えない生活という比較の世界にいたけれども、ポンと超えて、目が見えない自分の人生を100肯定できたんです。でも現実的には見えていたほうが都合がいい。現代医学ではもうダメだと言っているから、東洋医学を調べ始めたわけです。

津村 東洋医学といっても、いろいろありますが。

昇平 鍼灸、断食など、いろいろ調べたりやってみても見込みがなくてあきらめかけていたころ、たまたま本屋で「野口晴哉・整体入門」(講談社)を見つけたんです。それを読んで、自分自身のなかにすべて治す力があるんだということが分かった。とたんに健康観が一八○度変わったんです。今から二十五年前、二十五歳でした。

津村 「活元運動」をされたんですね。

昇平 ええ。その本を読んで「活元運動」はすごいと思って、書いてある通りにやり、今動くか、今動くかと待った。四十分ぐらいたって、もうやめようと思ったとたん、バーッと動き出して止まらなくなった。期待するという緊張感が、やめようと思ったことで一瞬のうちに溶けて、からだが動き始めたんですね。それからは、いっさい心配はない、からだのおもむくままに治る方向に行くんだと信じて……。それが整体との出会いでした。そして結婚して、いろんなことがうまくいくようになったんですよ。念願の教育者にもなって、神奈川の中学校に赴任したころ、「はじめ塾」に顔を出したら、偶然そこで野口整体をやっていたわけです。以来整体を始めて二十五年、おかげさまでまだ目は見えています。やはり野口整体はすごいなと思いますよ。

野村奈央(以下、奈央) 私が野口整体に出会ったのは、結婚したとき。和田先生から、野口先生の十本の指に入るお弟子さんで小田原にいらっしゃる先生を教えていただいたんです。そのころは、肩凝りはひどいし、肝臓はおかしいし、胃下垂だし、食欲は全然なくてクラクラするし、目はグーッと奥に引っ込んじゃって、目のなかを洗ったらどんなに楽だろうと思うくらい、すごくからだが悪くて……。

昇平 もう骸骨みたいでしたものね。

奈央 初めて小田原の整体道場に行ったとき、ふたりで組む相互活元運動をしたんです。すると、手がクルクルとミキサーみたいに回るし、首もはるか彼方に飛ぶんじゃないかと思うくらい回るんです。驚くと同時に、心の底から感動しました。からだの奥までスッキリしました。それから活元運動を続けるうちに、どんどんからだの調子がよくなったんです。本当に人間は自分で自分のからだを治せるんだということを体験しました。

昇平 それでふたりして整体の勉強を始めたんです。お互いの興味によって、僕は心や意識の分野を研究し、彼女は実技に取り組むと。


野口晴哉の的確な指示と慈愛に驚く
津村  すぐれた師に出会うことが、いちばんの勉強でしょうね。

昇平 最初に指導を受けた先生は手の感覚がとても敏感で「ここを触ってごらんなさい、こうでしょう」と、悪いところがパッと分かるんです。初めは超能力のようなというか、信じられないくらいすごいことができるんだなと思いました。そのうち奈央は東京の本部道場で、硬結(小さく硬い凝り
)を見つけてそれを調整してとり去ることを習ったんです。毎晩僕の足で試すわけですが、本当に的確に痛いところを探すんですよ、そういう才能もあったんですね。

奈央 才能というより、人間が誰でももともともっている可能性だと思いますよ。

昇平 硬結を探すところから入ると、すごく手の感覚を鍛えるんじゃないかな。それが彼女の実技のスタートでした。

奈央 それは二十四歳で結婚した年ですね。彼が目が見えなくなると言われたことも、私のからだの具合が悪かったことも結局はラッキーだった。それがなかったら、整体をやっていなかったでしょうから。

津村 野口先生と出会ってどんなことがありましたか?

奈央 私が交通事故にあって頭を打ったときのことでした。野口先生が診てくださって、頭の大事な場所を打って非常に危険な状態で「一週間目が危ない」と言われた。それで野口先生の指示を受け、小田原の先生が毎日こと細かに世話をしてくださったんです。

昇平 「一息四脈」(一呼吸のうち脈が四回)だったらどういう状況でも大丈夫なんですが、「一息二脈」ぐらいでひどかった。この脈は生命にかかわる状態なんです。


奈央 アキレス腱がつってとても辛いとき、「アキレス腱に愉気しなさい」という野口先生の指示があったと、小田原の先生が来てくださる。いつも本当に的確なんですよ。頭を打っているのに、お腹を愉気することも……。頭とお腹は連動してるんです。頭の打撲が内臓に影響を与えるということを、からだで体験しましたね。おかげさまで危機の一週間が経過した後、野口先生が東京の本部道場で特別に診てくださいました。

昇平 野口先生の動きは、非常に洗練された舞を見ているようでした。技術がここまで高まっていると、かくも美しいものかと感激しました。最高のものを見たという感じですね。


奈央 操法(他動的な身体調整法)をする前に先生はパッと私の目を見ます。それはとても慈愛に満ちていて、自分が本当に愛され、包み込まれているという感じ。こんなに吸い込まれるように見られたことはない、そんな感じです。

昇平 野口先生と目を合わせた人たちは、皆そう思っているんですよ。

奈央 何万という大勢の人たちが、こんな愛され方をされたことはないと感じるのだから、もう喩えようもない人格です。そのときの操法のリズムは、今も記憶にあります。

昇平 整体では「機・度・問」がすごく重要で、操法を受けた人はこの微妙な流れを感じることができます。


奈央 「機」は機会、「度」は度合、「間」は間合という意味ですね。動き、スピードのなかに機があり、度があり、何分の一秒という瞬問に間があって、全体としてスムーズな流れがある。

昇平 先生はジッとしているのではなくて、すごくスピードが速い。サッサッサッと袴の擦れる音がつぎつぎに聞こえてきます。


奈央 背骨のすぐ横に一側、二側、三側と筋があって(脊柱の左右にある筋の束、指一本外側を一側、二本外側を二側という)、野口先生の操法でその一側をはじかれたとき、からだの奥の奥のところまで凝りをとってくれたという快感がありました。あそこまでピタッとしたリズムでからだを触られた体験は、まずないですね。

昇平 一側は「こうはじいて」と教わって、お互いにいくらやってもピタッとこないから、不満が残るんですよ、ふつうは。

津村 一側、二側、三側という呼び方は、療術(大正から昭和初期に盛んだった民間医療の総称)の世界で古くから使われていたんですかね。

奈央 ええ。ただ野口先生は一側の絹糸のような二十数本の線を手で感じて、硬直があるとはじきながらそれを溶かしてました。ふつうはどう探っても七~八本しか感じませんよ。野口先生の観察は細かくて、背骨を見れば心身のどこがどうつかえているか、その人の生活まで分かってた。顔を見るより、後ろ姿を見たほうが「○○さんだ」と分かるんです。先生には背骨がレントゲンみたいに見えちゃうんでしょう。

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